小天使サエキ・シュンゾウの教え:面白い記事を書いて読者を楽しませる方法

小天使サエキ・シュンゾウの教え:面白い記事を書いて読者を楽しませる方法

ライターなら誰でも思うことがあります。

「自分の書いたものが多くの人に読まれたい」

少なくとも私はいつでもそう考えています。多くの人に読んでもらい、できるなら、読んだ人の人生に何かの影響を与えたい……と。

非常に大げさで傲慢な思いですが、正直に言うと、この気持ちがものを書く原動力になっています。もちろん収入も大切です。キャリアップもしないよりした方がいい。

しかし、正直に言えば、収入やキャリアアップは私にとってそれほど重要なモチベーションにはなり得ない。収入だけの仕事は、これまでさんざんしてきて、疲れたということもあるし、キャリアアップにいたっては、自分の著作がすでに16冊出版されています。

そもそもライター以前の仕事で、海外で賞をいただき、ある時期一部からさんざんもてはやされて、階段を一足飛びに何段も上ってしまった経験をしています。そこで、自分の虚栄心を満たすキャリアアップの虚しさを味わっているため、目的のないキャリアアップなんかどうでもいいと、心のどこかで思う自分がいるわけです。

 

それでも、面白いモノを書きたい。どんなジャンルの原稿でも、読む人をわくわくさせる、ドキドキさせる、そして何かを心に残す、そんな面白い記事を書きたい。いつでもそう思っています。

 

では、どうすれば面白い記事を書けるようになるのでしょう?

そのひとつの答えを、天使を自称する人物が教えてくれました。紹介します。

※ここからあえて文体も変えます。

小天使サエキ・シュンゾウあらわる!

「面白い記事を書いて読者を楽しませる方法について知りたいと思わねえか?」

目の前の空間にふわふわ漂いながら、サエキ・シュンゾウはのんびりとした口調で言った。

目の前の空間にふわふわ漂い……これは書き間違いではない。文字通りの意味で、サエキ・シュンゾウを名乗る着流しのじじいは、私の目の前で宙に浮いているのである。

このじじい、格子柄の着流しを粋に羽織り、髪は五分刈りのごま塩頭、分厚い唇が大きくへの字に曲がり、いかにも頑固一徹な江戸職人の風情を漂わせているが、自己申告によれば、「われは天界より舞い降りたる天使なり」だそうだ。

それが本当かどうか私にはわからないが、事実、いま目の前にいるこの男、ふわふわと宙を漂っている。しかも、漂っている場所が、私が借りている部屋なのである。大掛かりなトリックの下準備をしようにも、私の目を盗んでそんなことできるほど、この部屋は広くない。

おまけに私は、その日一日中、依頼された原稿を書くために、パソコンを目の前にしてウンウンと脂汗を流しながら、俺って本当に才能ねえなあと、己の書いた文章に自己ツッコミを繰り返し、何度も書きなおしていたのであった。だから、誰かが部屋に侵入してきたら、いくらウスラマヌケな私でも気がつく。

大体、このじじいの登場の仕方が凝っていて、突然部屋中が白く発光したと思ったら、空間がぐにゃりとねじ曲がり、そこからおもむろに、どっこいしょという感じで、着流し姿のじじいが登場し、「われは大天使ガルビエルの異母兄弟、小天使サエキ・シュンゾウなのであるぞ」と、エラソーに顎を突き出すのだから、これがトリックだとしたら、逆に驚く。

小天使サエキ・シュンゾウが「面白い記事をつくる方法」について語る気満々なこと

「俺はいま原稿執筆で忙しいんだから、誰か別の人のところに行って遊んでもらってくれ」と、私は眉をしかめた。サエキ・シュンゾウは唇を尖らし、「なんだい。天使が現れたってのに、ちっとも驚かねえんだな」と、落胆の色を浮かべた。

 

「天使ぐらいで驚いてちゃ、世の中生きていけないさ」

「醒めてるねえ」

「悪いけどさ。俺、本当にヤバイんだ。ただでさえ締め切り遅れてるのに、これ以上遅れちゃ、申し訳が立たない」

「だからさ、あんたのその忙しさをちょっとばかり助けてあげようってな」

「なんだよ。俺の代わりにじいさんが原稿を書いてくれるのか?」

「じいさんじゃねえ、あたしはレッキとした天使だ」

「うす汚ねえ天使だなあ。どうせなら、可憐で儚げな美少女の天使に来てもらいたかった」

「困ったお人だねえ」と、サエキ・シュンゾウは天を仰いだ。「まあ、いいや。手っ取り早くいこう。あたしがおまえさんに教えたいのは、ライターとして記事をつくるときに心がけなければならない3つのポイントについてだ。この3つのポイントさえつかんでいれば、誰でも楽しめる記事がバンバンつくれるってえシロモノだ。それをあたしが、いまからおまえさんに教授してやるってんだ。ありがてえだろ?」

小天使サエキ・シュンゾウ、にんまり笑って空中で器用に胡座をかいた。

小天使の教え1:「何を伝えるか」ではなく「どう伝えれば確実に伝わるか」を考えるべし

「多くの人が勘違いしていることがある。それは、『何を伝えるのか』ばかりを気にして記事にすることである」「それじゃいけないのか?」

「よく考えてみねえ。テーマがあって、それに関連した情報を調べて、それを列挙すれば面白い記事になるのかね? そうじゃねえだろ。そんなもん、情報の羅列さ。情報を羅列されたって退屈なだけだ。役所の報告じゃないんだぜ、記事ってのは」

「しかし、その情報を求めている人がいるんだから、意味のないことじゃないだろ」

「意味のある情報にたどり着く前に、記事が面白くなくて途中で読まれなくなる可能性を考えたことがあるのかい?」

「そりゃまあ、読んでもらえなきゃ、どれほど有意義な情報を提供していても、意味がなくなるな」

「良い情報、素晴らしいアイデア、最新のお役立ちポイント。こういうものを紹介するために、人は記事を書く。そしてその記事を求めて、読者が生まれる。ただし、どれほど素晴らしい情報があったとしても、読まれなけりゃその記事は最初から存在しないのと同じことになる」

「そりゃ言い過ぎだろ」

「どこがだね? 例えばさ、美味しい料理を出す店があるとするよ。その店で料理を食べれば、世界一幸せな気分になれる……そんな素晴らしい料理を出すレストランだ」

「いいねえ」

「ところが、まったく誰にも知られてないとしたらどうだ? なぜなら、店のオーナーは、『本物の料理は宣伝しなくても本物を愛する人に見つけてもらえる』という信念で、料理の素晴らしさを人に伝える努力をしていないからだ。街を歩く通行人の誰も、その店舗の存在に気づかない。店の良さ、料理の素晴らしさを外に向けて発信する努力を怠ったせいで、店は誰からも気づかれず、存在しないものとしていつしか消えていく」

「なんかいかにもありそうな例だな」

「どの分野でもこんな例ばかりさ。おまえさんがいま書いているようなWEB記事の目的はなんだ? 多くの人に読んでもらい、そこに書いた情報なりアイデアなり視点を知ってもらうこと。知ってもらってから、次のアクションを取ってもらうこと。下世話にいやあ、ビジネスにつなげること……そこにあるんじゃないのかね?」

「まあ、そうだな」

「だからこそ大切なのは、『何を伝えるのか』ではなく、『伝えたいものを確実に伝えるためにどう伝えるのか』の部分にあるってことよ」

「納得してしまう俺が悔しい」

「悔しがる必要はないさ。あんた得意分野だろ」

「演出のことを言ってるのか?」

「そういうこと。伝えたいことを確実に伝えるために、どう演出するか。これが大切なことなんだぜ」

  • ポイント1:伝えたいことを確実に伝えるには演出が必要

小天使の教え2:想定ターゲットになりきれ!

「記事に演出が必要だというあんたの意見は、まあ、わかるような気がする。でもさ」と、私は疑問を口にした。「演出というのは、相手がいて成り立つものだ。つまり、記事を読む相手……読者だ。不特定多数の読者の誰もが面白がる演出なんて、不可能だぜ」

サエキ・シュンゾウは口の端を曲げた。「そりゃそうだ。だから、そのためにペルソナがあるんじゃないのか?」そしてつづける。

「誰のための記事かということは、WEB記事だけじゃなく、活字媒体でも重要なことだろ? おまえさん、本を16冊も出版してるんだからそんなことはわかりきってるはずだ。そうだろ?」

「まあね」

「だったら簡単じゃねえか。想定する読者=ターゲットとするペルソナが喜ぶ演出をすればいい」

「あっさり言うね」

「結論は単純だ。単純じゃないのは、それじゃ、どうやってペルソナが喜ぶ記事を書けるか、というところにある」

「それでいつも苦しむ」

「目の前に想定したペルソナを想像したって、そんなもんは役に立たない。じゃどうするか。自分がそのターゲットとしたペルソナになってみりゃいいんだよ。ロールプレイングで言うところの、役割変換だ」

「どういうことだ」

「つまりさ、自分が想定している読者になってみるのよ。それで、読者が喜ぶであろう演出を考えてみる。すなわち、自分が楽しめる記事を執筆しろ、ってことを言いたいのさ、あたしは」

 

「想定ターゲットである読者のペルソナを想像するのではなく、自分がペルソナそのものになって原稿を書いてみるってことか?」

「あたしはそう言っている。自分がターゲットの読者だとしたら、いま書いているものが面白いかどうか、判断つくだろ?」

「もしつかなかったら?」

「そりゃ、あまえさんの想像力が足りてないってことだ。いいかい。人が人であるために重要な要素は、想像力だ。自分以外の人生をありありと想像できる感受性だ。それを持って、ペルソナになりきった状態を想像してみるんだよ。そうすりゃ、いま書いているものを本当にターゲット読者が望んでいるのか、面白がってもらえるのか、ということがうっすらとでもわかるはずだ」

  • ポイント2:ペルソナになりきって記事を書き、読み返してみる

小天使の教え3:情報は素材。素材は組み合わせて美味しくなる!

「さて、ポイントの3つ目だ」と、小天使サエキ・シュンゾウは大げさに3本の指を順番に折り曲げた。

「どんな記事にしろ、情報収集は大切な作業だ。記事のテーマに沿って質の高い情報をどれだけ集められるかで、その記事のクオリティは決まってくる」

「そうだな」

「だが、ここでも多くの人は勘違いする。集めた情報をそのまま記事にしようとする」

「それのどこが悪い?」

「演出だよ、あたしが言っているのは。質の高い情報があっても、それだけで面白い原稿が書けるわけではない。読者の立場になってごらんよ。情報の質が高いかどうかで記事を読む人なんざ、ほとんどいないぜ。そう考えた方がいい」

「うーん、極論のような気もするが……つづけてくれ」

「つまりさ。ある特定の記事を読むとき、読者が最後まで読んでくれる記事とはどういうものか、ということを考える必要があるんだよ」

「……面白さだろ?」

「じゃ、面白さはどこからくるのか? それは、情報の組み合わせで決まるのだ。どういうことかというと、Aという情報に、まったく異質な情報Bを組み合わせてみるわけだ。すると、読む人の心のなかに、ザラリとした違和感が生まれる。この違和感が、興味に変わり、最後まで読んでもらえる仕掛けにつながるって寸法よ」

その例としてサエキ・シュンゾウは、以前私がある雑誌に書いた記事を引いた。それは、店舗集客に関するコラムで、店舗集客で役立つマーケティングの理論を、わかりやすく紹介したものであった。その中で私は、マヤ文明における天文台の役割と江戸時代の歌舞伎のはなしを結びつけ、そこから現代の店舗でのマーケティングに論を展開したのである。

「強引な展開だったが、受けがよかったんだろ?」と、サエキ・シュンゾウはニヤニヤ笑いながら言った。「編集部の話では、反響がいままでで一番あったらしい」と、私は自慢に聞こえないように答えた。

「普通はさ、店舗集客をテーマにしたマーケティング理論の紹介なら、そのエッセンスだけをまとめて記事にするわな。だが、おまえさんがしたことは、何の関係もないようにみえるマヤ文明のはなしからはじまり、それを江戸歌舞伎につなげ、そこから現代の集客に結びつけるというアクロバチックなことをやった」

「関係ないはなしをつなげたわけじゃないぜ」

「わかってるさ。ただ何も知らない人なら、マヤの天文台や歌舞伎がでてきたときに、頭の中が疑問符でいっぱいになるってことだ。そしてその疑問符が、次を読みたくなる仕掛けになっている。で、最後に、それが現代につながり、なるほど!となる」

「まあ、そうかな」

「異質な情報をわざとぶつけることで、読者の心に突き刺さるものが生まれる。それが、面白さの基盤となるわけさ。おわかりかね?」

  • ポイント3:異質な情報を組み合わせて論理のアクロバットで面白さをつくる

 

記事を読ませる演出に力を注いでもいいのではないだろうか?

サエキ・シュンゾウは、喋るだけしゃべると、再びどっこいしょと空間に穴を開け、去っていきました。

ここで紹介した「面白い記事を書く方法」は、あくまでも天使を名乗る男の独断的な意見です。これが正解とは言えない。もっと他の考え方もあるでしょう。しかし、記事全体を面白く読ませようとする演出について、もっと多くの人が注意を払ってもいいのではないかと、私は個人的に思います。

サエキ・シュンゾウを弁護するわけではありませんが、彼の教えには、ひょっとしたら真実のかけらが眠っているかも。

次は、締め切りを必ず守る方法について教えてほしい……。

 

著者プロフィール

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タカイチアラタ
CMディレクターとして約500本のラジオ&テレビCMの演出・制作を手がける。能力開発系・自己啓発系の著作13冊、マーケティング系の著作3冊あり。海外で翻訳出版された本4冊。現在はライターとして活動中。どんなジャンルのどのようなテーマでも、依頼さえしてくれれば、謎と論理のエンターテインメントな記事にすることができる(残念ながら誰も求めていない)。

 

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