拝啓ライター様。名著『〆切本』は絶対に読まないでください

拝啓ライター様。名著『〆切本』は絶対に読まないでください

「しめきり。そのことばを人が最初に意識するのは、おそらく小学生の夏休みの宿題です。」

そんな懐かしい恐怖を思い起こさせる一文からはじまる本が、8月の終わりに発売されました。その名も『〆切本』(左右社)。夏目漱石から村上春樹、岡崎京子、西加奈子まで、日本の有名作家たちが〆切について綴った文章を集めたアンソロジーです。

〆切が近づいても筆が進まない苦悩を記したエッセイや日記。原稿が遅れることをわびた手紙。編集者に徹夜で見張られながら原稿を仕上げてゆく様子を描いた漫画……と内容も形式もバラエティに富んでいます。

そしてなにより、書いているのはみな一流の文章家ばかりですから、言い訳がうまいうまい。しかも造本も凝っていて、ぱらぱらめくるだけでも楽しい、ぜひ手元に置いておきたい一冊です。

ただしライターのみなさんは例外。絶対に読んではいけません。そうそうたる「先輩ライター」たちから、〆切を破る口実を学ぼうなどとはゆめゆめ思わないでください。

今回は、ディレクターとして普段は〆切を設定する側の立場にいる私から、『〆切本』を参考にして欲しくない理由を、本文中の魅力的なエピソードを紹介しながら説明します。

手塚治虫「編集者残酷物語」

大量の連載を抱えていた手塚治虫が、〆切の約束をまったく守らないため「手塚うそ虫」呼ばわりされていた様子は『ブラック・ジャック創作秘話』に詳しいですが、このエッセイでは、催促に来た編集者に仕事を手伝わせていたら、そのまま腕が上達して本当の漫画家になってしまったというエピソードが紹介されています。まさか〆切が他人のキャリアを変えるきっかけにもなるなんて……。人生何が起こるか分からないから怖いですね。〆切は守りましょう。

嵐山光三郎「編集者の狂気について」

とはいえ、編集者から作家に転身するのは珍しい話ではありません。平凡社の名編集者から作家・エッセイストへと活躍の場を広げた嵐山光三郎も、「サラ金のとりたて業者以上」だったという編集者時代には、〆切が守れないなら「代りに書いてやる」くらいに思っていたそうです。でも、周りにはムリがたたって早死にした人もいたのだとか。編集者の「殉職」を避けるためにも、〆切は必ず守ってあげてください。

後藤明生「食べる話」

私が最も好きな作家、後藤明生のエッセイが収録されているのは個人的に嬉しいポイントでした。知人が受賞した文学賞のパーティに参加するから〆切を伸ばしてくれとお願いするところから、後藤明生らしくとぼけた調子で話題が脇道にそれてゆき、なぜかパーティの前にカレーライスを食べちゃったというエピソードで終わります。もはや言い訳すらしていません。〆切守れ。

吉村昭「早くてすみませんが……」

そうやって平然と〆切を破る人もいれば、一度も〆切に間に合わなかったことがない吉村昭のような作家もいます。「少くとも締切り日の十日ほど前を自分なりの締切り日と定め」ていたという吉村の流儀は、しかし担当編集者にはスリルがなくて(?)かえって喜ばれなかったという皮肉な話も。ちなみにこれは昭和の時代の特殊な例であって、いまどきのディレクター・編集者は〆切に間に合わせていただければ100%喜ぶはずですのでご安心を。

米原万理「自由という名の不自由」

吉村昭ほどの律儀な作家でも、わざわざ自分で別の〆切を設定しなくてはならなかったのは、人間は期限が区切られていないとやる気がわかない怠惰な存在であるということを意味しています。

このテーマを、「不自由ゆえの自由」というところまで広げたのが米原万理のエッセイ。期限であれ、文字数であれ、テーマであれ、「ちゃんと区切ってあげる」役割って大事なんだなと再確認させられました。ディレクターも自分の仕事をきちんとやりますので、ライターのみなさんは〆切を守ってください。

〆切は誰のものか?

小言が五つ並びましたがいかがだったでしょうか? 話題の一冊だし、どうしても読みたいという方は、上から四番目の人のエッセイだけどうぞ。あと、村上春樹も大丈夫。

ちなみに、孫引きにならないよう、引用する部分は原典にあたったのですが(嵐山光三郎『編集者諸君!』と吉村昭『私の好きな悪い癖』)、つい確認作業に関係のないところまで読み耽ってしまいました。こんなふうに、お気に入りの作家を見つけるいいきっかけにもなる本だと思うので、やっぱりライター以外の方にはぜひ読んでいただきたいと思います。

でも、実際には、〆切を守らないといけないのはライターの方に限った話ではありません。なぜなら、〆切をはじめて意識するのが夏休み終了間際の小学生だとしたら、楽しい夏休みはほぼなくなるのに、〆切だけが大量に残るのが、大人になるということだからです。

 

著者プロフィール

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清野雄太
神保町在住。イノーバのコンテンツディレクター。PENYA編集長も兼務。好きな飲み物はドクターペッパー。

 

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